こんにちは。小俣造園の小俣聖です。
今回は知っていると日本庭園の見方がより深まるかなと個人的に思うことについてご紹介したいと思います。漠然と見るよりも少し職人目線に立ったほうが日本庭園は絶対面白いです。
最初のテーマは庭園の植木についてお話します。これまでもブログで日々の手入れの様子等をお伝えしてきましたが、我々にしか馴染みのない言葉を使ってしまった部分もあり、少々わかりづらいものかなと感じていました。そこで、初めての方でもできるだけわかりやすいようにそれらをご紹介するとともに、日本庭園の魅力を伝えられればと思います。
・【自然樹形】と【仕立物(したてもの)】
植木には大まかに2種類の形があります。2つとも植木の見た目による分類です。この2つの違いは写真で見るとわかりやすいと思います。
左側の灯篭のとなりにあるのが自然樹形、右側が仕立物になります。自然樹形は手を加えずそのまま生育した植木、仕立物は幹や枝を意図的に曲げてその先に葉を丸く刈り込んだ玉というものを付けます。仕立物はさらに細かく分類できますが、ひとまずここは作りが人工的かどうかという分類でよいでしょう。日本庭園ではたびたび関係が対になるように植木の配置をとります。自然樹形と仕立物、広葉樹と針葉樹、常緑樹と落葉樹などがそれにあたります。ちなみに仕立物はそれを作る生産者の方が激減しており、近年になって値段が高騰しています。自宅の庭などにある方は是非大切になさってください。
・【透かし剪定】と【刈込剪定】
この2つは手入れの方法の違いで、使う道具も違います。
まず「透かし剪定」は主に自然樹形の植木に用いる手入れの方法で、主に使う鋏はこれです。
これらの剪定鋏、植木鋏といったものを使って、枝が茂り過ぎた箇所の枝を抜いていきます。(ちなみにこの業界だと植木も生き物という考え方が強いことから、「切る」という言葉は避けられ「抜く」「外す」といった言葉に言い換えられることが多いです)。そのまま生育したものであっても庭園にある以上、いつまでもそのまま手入れをせずにボサボサな状態にするというわけにはいきません。透かし剪定の勘所は、人の手が入ったことを感じさせない、植木のありのままの姿を表現するということになります。
透かし剪定をする前後の写真です。向こう側が適度に透けるようにします。おそらく街路樹などでは、ここまでの仕上がりにすることはありません。手間がかかるし、何より難しいからです。透かし剪定の仕上がり具合に職人の技量が表れると言って差し支えないと思います。日本庭園には人が手を加えた痕跡をできる限り抑えて、自然を表現しようという考えが根底にあります。職人以外でも一見して「あ~ここの枝を抜いたのね」とわかってしまうような手入れではダメということですね。職人の手入れはあくまで、どの枝をどう抜いたのかわからない。けれども美しい仕上がりになったというものでなければならないのです。有名な寺社仏閣の庭園などを訪れた際にはぜひ自然樹形の植木の仕上がりを見てください。きっと人の手が加わっているとは感じられないほど、植木のありのままの姿が表現されているはずです。そして絶妙な透かし加減で植木の多さの割に圧迫感を受けず、空間的広がりが感じられる落ち着いた庭園になっていることが感じられるでしょう。
一方「刈込剪定」は仕立物の植木に用いる手入れの方法です。使う鋏はこちら。
名前もそのまま、刈込鋏です。仕立物の手入れだけでなく、生垣などの平面的、直線的に仕上げるものにも使います。
刈込剪定の前後の写真です。玉の輪郭一つ一つが出るように刈り込みます。また一番上の部分を「芯(頭とも言います)」と呼び、それがどの方向から見てもや凹凸がないように左右対称に仕上げるのが、職人の腕の見せ所です。庭園で自然樹形と組み合わせることでメリハリが生まれる仕立物ですが、近頃めっきり見かけなくなってしまいました。このような仕立物を作るためには植木生産者の方の技術が不可欠なのですが、懇意にしている方も後継者がおらず自分の代で店仕舞いをするつもりとおっしゃっていました。伝統的な技術が少しずつ失われてしまうのはとても悲しいことです。今後、益々貴重な存在になるであろう仕立物の植木がいつまでも美しい姿でいられるよう手入れをしていかなければなりませんね。
ほんとはもっと書きたかったのですが、長すぎる記事になってしまうかなと思い、今回はここまでにしたいと思います。笑
日本庭園の魅力をみなさんにお伝えできるよう、これからもブログを続けていきたいと思いますので是非ご覧ください。
それでは失礼します!次回の更新もお楽しみに!
小俣
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